いのちの話

きゅうりに、手を合わせたことがありますか

sowaka_369

こんばんは。蓮うさぎのれんです。

へんなことを聞くようですが。

きゅうりに、手を合わせたこと、ありますか。

ふつう、ないですよね。


日本には、むかしから、こんな考え方があります。

すべてのものに、いのちが宿っている、という考え方。

山にも、川にも、大きな木にも。

そして、台所のきゅうりや、にんじんにも。

道ばたに転がっている、ひとつの石にさえ。

わたしは、仏教が身近にある家で育ちました。

ちいさいころ、教わったんです。

草にも、木にも、石ころひとつにも、

ほとけさまは宿っている、と。

山や、川や、草や木——

この世のすべてのものは、

そのままで、尊いものなんだ、と。


なんだか、大げさに聞こえるかもしれません。

でも、わたしは、この考え方が、すきです。

むずかしいお経のことは、よくわかりません。

でも、この「すべてに、いのちが宿っている」という感覚だけは、

なぜだか、ずっと、心にのこっているんです。


わたしたちは、つい、忘れてしまいます。

いま食べているきゅうりが、

土の中で、水をすって、お日さまをあびて、

だれかの手で、育てられて、運ばれて、

いま、ここにある、ということを。

一本のきゅうりの向こうに、

たくさんのいのちと、たくさんの手が、ある。

そう思うと。

「いただきます」の六文字が、

すこし、ちがって聞こえてきませんか。


そして——
いのちは、こんなに尊いのに。

いまこの瞬間にも、遠いどこかで、

そのいのちが、うばわれています。

。。。なんでなん?

会ったことのない、だれかの、

かけがえのない、いのちが。

今のわたしには、なにもできないけれど。

せめて、手を合わせることは、できる。

近くのいのちにも。

遠くのいのちにも。

おなじように、そっと、祈ること。

それくらいしか、できないけれど。

でも、その「それくらい」を、

ずっと、つづけていきたいと思うんです。


むずかしい理屈は、いりません。

ただ、感謝すること。

目には見えないけれど、たしかにそこに在るものに、

「ありがとう」と、そっと思うこと。

それだけで、心が、すこし凪ぐ気がするんです。


それに。

いま、ここにいる、わたし。

このいのちも、

だれかから、受け継いだものです。

会ったことのない、たくさんのご先祖さま。

その、ずっとずっと、遠いところから、

つながって、つながって、

いま、わたしが、ここにいる。

背中に、たくさんのいのちを、背負っている。

そう思うと。

自分ひとりの力で生きている、なんて、

とても、言えなくなるんです。


今夜、ごはんを食べるとき。

お皿の上の、ちいさないのちに。

ほんの一瞬でいいので、

そっと、手を合わせてみませんか。

今日も、あなたの心に、静かな凪がおとずれますように。

ABOUT ME
記事URLをコピーしました