一枚の写真のこと
こんばんは。蓮うさぎのれんです。
今日は、わたしがずっと忘れられずにいる、あるお話をさせてください。
少し前に、ひとりの男性を看取りました。
身寄りの少ない方で。
最期は、静かな場所で、ひとりでした。
わたしはいつものように、その方の足を、ゆっくりとさすっていました。
そうしたら、ふいに、起き上がろうとされたんです。
「どうしましたか」
そう声をかけました。
その方は、そばにあったものを、ぎゅっと、ちからいっぱい掴みました。
そして、大きく目を見開いて——
すうっと、遠くへ行かれました。
最後まで、なにかを、掴もうとされていました。
その方が暮らしていた部屋に、一枚の写真が残っていました。
古い一台の車の前で、笑っている写真です。
わかいお父さんと、まだ小さな男の子。
たぶん、ずっと昔の、家族の一日。
聞けば、お子さんとは、長いこと会えていなかったそうです。
わたしは、その写真を、しばらく見ていました。
そして、思ったんです。
きっと、会いたかったんやろうな、と。
子どもは、大きくなれば、離れていきます。
それは、わるいことじゃない。
むしろ、あたりまえのこと。
親という存在を、こえていかなあかん時期が、誰にでもあって。
そういうときは、そのつもりがなくても、ぶつかってしまったりする。
ほんの小さな、行き違いだったのかもしれません。
どちらが悪いわけでもない、ただの、すれ違い。
それでも、時間だけが過ぎていって。
気づいたら、こんなに遠くまで来てしまっていた。
——でも、あの写真を、最後まで手元に残していた。
わたしには、それが、答えのように思えました。
会いたくない人の写真を、人は、残さへんよなあ・・・と。
もうひとり、忘れられない方がいます。
その方は、九十一歳でした。
亡くなる少し前まで、こう言っていたんです。
「食べたいもんが、あるねん」
「携帯、持ちたいねん。子どもに、電話できるし」
やりたいことが、あった。
会いたい人が、いた。
それでも、あるとき、ぽつりと、「もうええわ」と。
長く、この現場にいると、わかってしまうことがあります。
気力と、生命力は、つながっている。
「もうええわ」と、心から思ってしまった人は——
ほんとうに、遠くへ、行ってしまうんです。
掴もうとして、逝った人。
手放して、逝った人。
まるで、正反対のようで。
でも、わたしには、ふたりが、同じことを教えてくれた気がしています。
——どちらの人にも、会いたい人がいた。
掴もうとした、その手のなかにも。
もうええわ、と手放した、その奥にも。
ちゃんと、会いたい人が、いたんです。
わたしたちは、つい、思ってしまいます。
いつでも会える、と。
その気になれば、いつだって、と。
でも、ほんとうは。
明日が来ることさえ、誰にも約束されていません。
会いたい人に、会いにいく。
伝えたいことを、伝えておく。
それも、じぶんの人生を、しずかに整えていくことの、ひとつなのかもしれません。
あなたには、会いたい人が、いますか。
今日も、あなたの心に、静かな凪がおとずれますように。
